スラー生活も残すところ3分の2にさしかかった頃突然の電話から棚ぼた・・・
CLASH
度々道端で声をかけてくる小学生の女の子(とても利発そうな子)が、ある日私が歩いているといつものように元気よく声をかけてきました。
その時はたまたま電話番号を聞かれた。
スラーへ来て殆ど鳴る事がない携帯がその日の夕方突然鳴った・・・
受話してみると、どうやら相手はタイ人女性。
当然タイ語で話しかけてきた。???昼間電話番号を教えた子の友達かしら?と思い話していたら、出身はサムイ島で、この近辺の大学で勉強している大学生との事。
その為、ちょうどうちの近所に住んでいるとの事。
電話の向こうには何人か存在している様子で、ワイワイ、キャッキャッ・・「この子タイ語しゃべれるよ〜〜」などと聞こえてくる。
暫く他愛も無いことを話していると、南部特有のセリフ→「今晩カフェーしに行かない?」と誘われた。
そんな・・・突然誘われても〜と思いながら一先ず、「明日なら・・・」と答えてみた。
すると、明日は「CLASHのフリーコンサート」があるから一緒に行かない?と、誘いネタが変わった。
「えっ?!」なんて???クラッシュって言ったよね?と私・・・
英語でスペル確認。間違いない!
「行きたーーーーーい!!」と思わず絶叫した私。
クラッシュ知ってる?好きなの?と聞かれ、好きですと答えいつの間にか翌日の約束はまとまっていました。。
思わず誰とも分からぬ女の子と明日憧れのクラッシュ初コンサート・・・しかもフリー??
田舎ってやっぱ凄い★!!と意味不明に感動していました。
明日の運命は?
36年前のドイツのフォードを白とベビーピンクでツートンに塗り替えた愛車は、下の画像一番左ウーイの車
日本の学生と同じく友達の家に始終入り浸り^^
一週間に1日しか自宅へ帰宅しない子もいます。
ラーチャプラックスラーターニー大学
ご飯を囲んでの友人達→全員地元の花の女子大生です!
因みに出会った日、おかしな世界に頭が混乱気味で初日のうちにたった一つの疑問をぶつけてみました。「私達はトムボーイ&レズビアン!!!」と、とても大きな声で答えてくれました。
タイのオカマちゃん達と同じく何のためらいも見せずに。
若さもりもりの乗りで毎日つるんでいるそうです。
私も一緒にご飯を作って食べたり地元のそこら中連れまわしてくれたもんです。
この子達といるとどうしても、男が混ざっている感覚に陥りました。
正直ここを去る日までこの感覚が取れる事は無かったです。
トムボーイ達は太っ腹で(あっ実際もっ!って子も・・・)盛り上げ上手、何とも頼もしい。
ウーイは料理上手でもあり、この日の食事も全て彼女が作ってくれました。
上記写真のおばちゃんは、スラーターニーのアパートの近所のむっちゃ美味しいご飯を作ってくれる食堂のおばちゃん「メー」(スラーの私の母)です。
隣はメーの息子。「生粋の女ったらし」
メーはこの既に成長した大きな息子の為に、わざわざ心配して故郷ナコンシータマラートから上京してスラーに住んでいる。しかも生活の為に食堂を営む。何しろぜ〜〜〜んぶ一人で朝4時台に起床し、市場へバイクで買い付け、仕込みして開店をする。
注文、料理、片付け皿洗い、最後の掃除にいたるまで本当に重労働。全ては息子の為に。その息子は近所の会社に勤めているので、夜の掃除以外はたま〜に手伝う感じ。息子はもっぱら女付き合いに忙しい・・・・よく町で見かけたもんです。
タイの母はとにかく子供をいつまでもケアしますね。
一人暮らしでいいでしょ!って思います。
そんなメーは愛情いっぱいだから私にもいっぱい目をかけてくれました。
大概お昼はメーの所へ食べに行っていましたが、オーダー以外に必ず何かしらメーと息子のおかずを付けてくれて、行かない日があるとどうした、ご飯は食べていたのか?と。3日行かなかった日にはご飯を持って部屋へ尋ねてきてくれたり、たまにお店を休みにした日は「さあ、娘一緒に市場へ買い物に行きましょう。好きなものを買いなさい」と言って私を連れて市場やデパートに行ったりしました。
サムイ島へ何日か出かけると告げると、前日にお土産のお菓子を作ってくれたりもしました。
ここでのSP体験
「ナコーンシータンマラート」
年明けにメーの実家ナコンシータマラートへ遊びに連れて行ってくれました。
私には田舎の夏休み風でなんとも楽しかった〜
メーの姪っ子(小学 生のニンちゃん)とその友人達と毎日川で遊んだり、夜は蛍を追っかけたりも
メーの実家に滞在中、中でも私が楽しみにしていたのは「ドスンッ!!」という家の裏にはに響く音でした。
大好物のドリアンが、熟すると木から落ちてくるのです。
すると翌日は美味しい新鮮なドリアンが台所に割って置いてあるのでした。もうユーっキーはにんまりです。
メーも羽目をはずし、私を姪っ子に託して昔からの友人宅でカード賭博にはまって帰ってこない日が1日ありました^^ 負けたらしく、翌日静かに過ごしていました。
田舎のタイ人の生活はとてもシンプルでした。ストレスをためようにもストレスの要因が見つからないといった具合に思えました。
東京生まれの私には、田舎はとても魅力的で毎日子供たちと遊びまわって満喫していましたが、年頃の若者にはどうしていいか分からないほど退屈に思えるだろう事も分かりました。以前に息子に何でスラーに出てきたの?って聞いたら、退屈だから・・・との返答。新年にも里帰りしなかったぐらいでした。
日本もタイもこのあたりの事情は共通ですね。